『PARADE』は終わらない〜とある末端おたくによる一解釈〜

2019 年 10 月 30 日、待望の Hey!Say!JUMP 新アルバム、『PARADE』が発売された。今度こそブログを書くことはもうないだろうと思っていたけれど、その内容があまりに鮮烈で、Twitterの120字では足りそうになかった。それに何より自担から「その楽しかった気持ちを自分だけのものにしていたらもったいない」とのお言葉をいただいたため、こうして何とか文章にしたためてみた。

唐突だが、JUMP を好きになってから両の手で足りないほどの年月が過ぎた。彼らへの愛情は若い頃より格段に穏やかなものになっている。自分も年を取ってしまったな、そんな風に思う。
JUMP もまた、仲の良さを維持しつつも昔より幾分穏やかな関係性になり、技術も各々向上して成熟したコンテンツを見せてくれるようになった。一方で、とびきり可愛らしいのに荒々しくこちらを捕らえて離さない、少年特有の戦意を感じることは少なくなったような気がしていた。無邪気で可愛らしい一面ももちろん未だ持ち合わせているけれど、誰しも、誰だって、大人になるのだ。それは、不安定で未完成で、それでも制限された箱庭の中で懸命に遊ぶ彼らを愛したあの頃を過去に流し去り、気持ちの整理をつけることを意味している。
ギラギラと輝き、残酷なほど愛らしい彼らをもっと知りたい、追いかけたい、深みに嵌りたい。そんな気持ちに突き動かされることはもうないのかもしれないとすら思っていた。自分はHey!Say!JUMP という存在から自由になってしまうのか、と。


ところが、だ。
予感はしていた。これまでにないティザーサイトや Twitter の OPEN、それらの中で明確に打ち出されるコンセプト。先行公開された MV や曲から溢れ出す、ダークにもライトにも振れるファンタジー性。否応なしにワクワクする。これは、いい意味で穏やかでないアルバムになるような気がしていた。
……とんでもなかったよ!!もう、ポエミーな文体全部吹っ飛ばすくらいの威力。どの曲を取っても最高。そして、「”夢”と”妖かし”をテーマにした不思議な世界(公式サイトから引用)」の裏には、いくつかのメッセージが隠されているような気がしてならない。
もう綺麗なまとめ方が分からないので以下、ぐだぐだと曲の感想を書き連ねていく。こんなに歌詞カードとにらめっこしたJUMPのアルバムは初めてだ。例によって個人の独断と偏見に満ちたこっ恥ずかしい解釈ですが、どうかご容赦いただけるとありがたい…。

 

■アルバム曲のテーマに基づく一解釈
『ミラクルワンダーマジック』は、妖かしの世界への入り口にぴったりなおどろおどろしいイントロで始まる。不気味さに尻込みするのも束の間、続く軽快なビートで知らず知らずのうちに引き込まれてしまう。我々は「魅力的な誘惑に身を任せ」、「ほらここだよ」と呼ぶ美しい妖かし達の手を掴んで彼らの世界に誘われていく。「おもてなし後悔なし 夢中になること間違いなし」、確かにそうかもしれない。我々は夢見心地のまま、彼らの列に続くことになる。

続く『ファンファーレ!』でパレードの始まりが知らされた。木漏れ日のように煌くサウンドが、胸を高鳴らせる。彼らの大人っぽく優しい声色にうっとりと聴き入ってしまう。

そしてアルバムのリード曲である『獣と薔薇』。先ほどの穏やかな世界から一転して、異形の獣となった彼らが牙を剥く。「ギラギラ 眼つきで愛を捜して」いる彼らは、身体だけ大きくなった寂しい少年のようにも思える。一体誰の愛を捜しているのだろう?そう思う我々の前へ、彼らが壁を越え現れるのだ。「お前を奪いに行く」と。

気付けば、我々は妖かしによる祭りのただ中にいた。『はな壱もんめ』という無邪気な遊びの中で、我々はなす術もなく彼らに奪われ合う。「君が欲しくて堪らないんだ」「誰にも取られなくない」と稚拙なほど真っ直ぐな言葉で綴られた時、ハッとする。「そっちより先に こっちへおいでよ」。彼らは「そっち」がどこなのかを知っているのだろうか。妖かし達を知らなかった者は行き先を阻まれ、知っていた者は道を引き戻される。「またね」という言葉は一種の呪いだ。彼らは我々が列から離れることを何よりも恐れている。そして、ここから逃がすつもりなど毛頭ないのだ。

そのまま狂瀾は宴へと変わる。「飲めや歌え踊り明かせ」と騒がしく楽しい『UTAGE Tonight』。気づけば我々もすっかりパレードの一員となっていた。「味を占めたら二度と戻れない」そんな危うい言葉を投げかけられても、気にならないほどに。

そうは言っても、道中流れるのは妖かしの気配を感じる曲ばかりではなかった。9人体制で歌われた爽やかなメロディラインの『COSMIC☆HUMAN』、これまでにないくらい大人の魅力たっぷりで退廃的な雰囲気漂う『I』、Hey!Say!JUMPの十八番とも言えるラテン調で洒脱な『愛だけがすべて-What do you want?ー』、日々の生活に疲れた背中をそっと押してくれるような『Lucky-Unlucky』、こんな曲調がないとJUMPコンが成り立たないというくらいハイビートで楽しい『Love Equation』、愛する人との幸せについて考える『アイノユウヒ』といった面々が、色とりどりの光となって練り歩く道を照らしていく。

そして、パレードの盛り上がりは遂に最高潮に達する。「無礼講さ キミはV.I.P」とエスコートされ、「明日の予定も忘れて ハメ外しちゃえ」と妖かし達から囁かれるままに大いに騒ぐ。その踊りはさながら『Zombie Step』のよう。しかし、そんな楽しい時間もやがて過ぎ去ってしまう。地平線の向こうから、朝日が差しはじめていた。パレードは終わるのだ。子どものように遊びはしゃぐのはこれまで。「次の招待状も渡すよ すぐに会えるよ またいつかのパレード」。そんな言葉を聴きながら、我々は現実へと進んでいく。まだ帰りたくない、それでも帰らなければならない。だって終わってしまうのだから。

ふと、目が覚めた。全ては夢だったのだろうか。そう思い、また単調な日々に戻ろうとする。でもやっぱり、心のどこかで諦めきれなかった。「飾りすぎて見えなくなった 言葉の心に答えがあるから」。本当は、この現実こそがパレードなのではないだろうか。心を開いて、「大人のフリした答えを捨てよう」。楽しい明日のパレードを作るのはきっと自分自身なのだ。『CALL&PRAY』、心に住まう彼らを呼び、祈る。夢のような現実に、何度でもアンコールを。パレードのアンコールを。

「光が舞って 鳴り止まない音に身を任せて」そしてまた、『パレードが始まる』。

 

と、最後の方は多分に妄想を含むものの、一連の曲の流れにこんなメッセージがあるのではないかと勝手に考えたりした。

『”夢”と”妖かし”』というアルバムの機構装置を利用して、Hey!Say!JUMPは我々を彼らの世界へ何度でも誘い、離すことはない。その夢のような時間は虚構から現実へ、地続きに繋がっていくのだ。

 

■「可愛い」という狂瀾の最終兵器

『パレードが始まる』がこのアルバムにおける本来のクライマックスだと思うが、実はまだ続きがある。通常盤の最後に入っているボーナストラックだ。ここが個人的に最も触れたかったところ。

『ぷぅのうた』は発表時から一体どんなトンチキが待ち受けているのだろうと期待と不安が半々だったが、メンバーによる可愛らしいミニドラマから夢に溢れた歌へと繋がり、更に歌詞にさり気なく9人(匹?)のぷぅの名前が込められているのはお見事(発見した人はすごい!)。メルヘンJUMPの面目躍如といったところだ。

問題は二つ目のボーナストラックにある。『パレードは終わらない -Life is an Adventure-』は、『パレードが始まる』と対になっている楽曲。パレードとは彼らと歩む旅路。JUMPが一人一人語りかける台詞、そして「誰かが終わりって言っても無視すればいいさ だって僕らの旅は終わってないだろう? キミが一番分かってるはずさ」…薮くんが歌うこの歌詞に、心を揺さぶられた人がどれほど多くいることだろう。色々な理由をつけて、知らない人の言葉を飲み込んで傷付いて、そうして諦めようとしていたのは果たして誰だったのか。「悪い時こそチャンスに変えて その度に強くなっていくんだ」「絆ってそういうもので だからずっと離れられないんだ」。大丈夫、JUMPがJUMPとしてそこに在る限り、パレードは終わらないのだ。

……と、綺麗な形で締め括られるはずだった。5分40秒までは。ジョン・ケージか。しんみりしていたところに突然流れる怪しげな音楽と「ん〜めでたいっ」からの「めっめめめめっめっめっめっめっめっめっめっ」。こう表記するしかないから困る。その後の歌詞も訳が分からなくて、もはや奇怪という他ない。何が芽生えてるの?なんでこれがボーナストラックの最後に?まだ隠しトラックなら分かるけどさっきの曲と普通に繋がってるよねこれ?歌詞カードないし?そんなこちらの混乱をよそに、謎の曲はサビに突入していく。

「めっ!めっ!めが出る五秒前 おはようよろしく 愛でてね〜愛でてね〜可愛くてごめんね〜」

これほどHey!Say!JUMPを端的に表す曲が今まであっただろうか!!我々には意味など分からなくていい、何だか分からんが芽が出る5秒前なのだ。そしてHey!Say!JUMPは「愛でてね〜」と箱庭の端までちょこちょこ寄ってきてくれるのだ。それでいて「可愛くてごめんね〜」とマウンティング気味に謝らなければならないくらい可愛い生き物なのだ。そりゃあめでたいから踊っちゃう。ふりふり腰も回しちゃう。だってHey!Say!JUMPは可愛いのだ。

「…愛でろ」、はい愛でますとも!

この曲を、最年長のメンバー2人が30歳になろうとしている2019年の今、彼らが発信したことに大きな意義があると思う。何となく、この曲の成り立ちにはメンバー自身が大きく関わっているような気がしてならない。普通はこの年齢のアイドルにこんな超ド級トンチキ曲を歌わせようとしないからだ(ぷぅの歌も同様)。だとするならば、Hey!Say!JUMPは自ら「可愛い」を引き受けたと同時に、我々に対して「可愛い」の保証、意思表明を行ったとも解釈できる。以前日経エンタで、JUMP達が可愛い路線の売り方に対して「求めてくれるならいつまででも」と言っていたのを思い出す。当時は我々を慮ってそう言ってくれたのだと思っていたけれど、ここまではっきり、そして強烈な方法で発信したのを見るに、JUMPは他者の入り込む隙がない摩訶不思議な箱庭の「可愛さ」こそが、自身の最大の武器であると承知しているのではないだろうか。これはJUMPが大人になってしまったと勝手に諦めていた、私のような人間に対する攻めの一手だ。彼らはいつまでもギラギラとした可愛さを見せつけてくれる。我々は安心してHey!Say!JUMPを愛で続けていれば良い。

なお、この謎めいた、しかしHey!Say!JUMPの核心に触れた曲について、『パレードは終わらない』の一部として見るべきか、全く別の曲として考えるべきかという議論がある。どちらかに断定することは現段階では難しいが、少なくとも『パレードは終わらない』と同トラック内に収められていることに彼らの遊び心があるような気がしてならない。混乱と狂瀾のままアルバムを締め括ることにより、文字通りパレードが終わることはないのだ。

 

Hey!Say!JUMPは妖かしのように変幻自在だ。彼らはいつまでも無邪気な少年であり、時に獣のように鋭い牙で我々を狙い、そして成熟した大人の魅力を振り撒く。彼らはパレードの中でさまざまな姿を見せてくれる。

また、彼らの本質は「愛でられる存在」であり、初めから今日に至るまで何も変わってなどいない。いや、変わらないことを選んでくれた。それでいて常に新しく、進化して洗練されている。矛盾しているようだけど、そんなHey!Say!JUMPの魅力がぎゅっと凝縮されているアルバムこそが『PARADE』だ。このアルバムを引っ提げたドームツアー、一体どんな素晴らしい夢の世界を提供してくれるのだろうと期待は高まるばかり。

この百花繚乱なるお祭り騒ぎ、今この時に加わらなければ損すること請け合いだ。少なくとも、私は彼らの魅力に捕われ、練り歩く行進の列から抜け出せそうにない。まだアルバムを手に取っていない人は、騙されたと思って公式HPでMVのサンプルだけでも試聴してみて欲しい。

https://www.j-storm.co.jp/parade/

 

『PARADE』はいつまでも終わらない!!